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軍事の町 ラ・リネア

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ラ・ リネア・ デ・ ラ・ コンセプシオンの町は1704年、フランスの軍隊の攻撃に対する防御的な要塞都市でした。しかしながら、ホセ・カルロス・ デ ・ ルナ氏の「ジブラルタルの歴史」ではそれよりずっと以前の1333 年に、アルフォンソ王が パルモネス 川とグアダランケ川にてアラビア軍隊を攻撃した際、既に軍事要塞としての機能を果たしたと記されています。

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突然の攻撃を受け、ラ・トゥナラ(現在のラ・アトゥナラ地区)の海岸へその先のジブラルタルに助けを求めて逃げました。

これらの展開にもかかわらず1704年にジブラルタルを失ったためにラ ・ リネア ・ デ ・ ラ ・ コンセプシオンの町が生まれました。

その時、スペイン軍は広場奪回のための最初の攻撃に失敗、包囲攻撃を行いました。これにより、地峡を監視し、他の地域への侵攻の可能性に対抗するために駐屯地をスペインのジブラルタル地方政府軍がここ(カンポ ・ デ ・ ジブラルタル)に設立しました。

この後、サンタ ・ バーバラとサン・フェリッペ に二点を直線で繋ぐように要塞を作りこの要塞システムを「ジブラルタル・ライン」と命名、その後の20 年間、ジブラルタルとすべての交流を閉ざしました。

要塞システム「ジブラルタル・ライン」

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停戦により落ち着いたこの町にはスペイン各地から多くの人々が訪れ、農業など各種の商取引をしましたがその中でも特に漁獲品の取引が盛んでした。

この要塞システムの「ジブラルタル・ライン」は、1870 年 7 月 20 日まではサンロケの自治体の一部でしたが、その後サンロケから分離、ラ・ リネア・ デ・ ラ・ コンセプシオン(軍隊の守護聖人であるインマクラダ・コンセプシオンの名を取って)として新市役所が建設され、1913年のアルフォンソ13世 の治世により初めて都市名を認められました。

「軍事の町 ラ・リネア」では、 20 世紀の中頃までラ・リネアの街を形成していた軍関係施設跡を紹介します。

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