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二つの文明 タリファ

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タリファは風の都として知られ、その海岸は38キロメートル、きめの細かい白い砂とクリスタルのごとく透明な水で観光客を魅了しています。そしてロス・アルコノカレス自然公園とランセス海岸の自然保護区に囲まれています。

タリファの町はイスラム教とキリスト教、両方の伝統と習慣の強い影響が街の所々に現在も残っています。
710年ラス・パルマス島にタリフ・アブ・サラ王が着きイスラムの時代が始まり、1292年9月21日にカスティージャ王・サンチョ4世によってキリスト教に奪回まで続きました。

500年間のムーア人支配

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710年の7月にムーア人、タリフ・ベン・マリクと言う戦士がこの土地を征服し、ムーア人からこの地が「タリフの島」と呼ばれたのがこの町の名の由来です。
「アル ・ アンダルス(ヴァンダリズム・破壊)」と呼ばれたムーア人軍隊は北アフリカからたったの14キロメートルしかないここタリファを上陸港にし、その旅の一時休憩の地としました。このためタリファの港は賑わいましたが町の人口自体は多くありませんでした。

ムーア人支配の 500 年間、1,083年 はアルフォンソ 4 世に、アルフォンソ 8 世と フェルナンド2世によっては12世紀にタリファはイスラム教対キリスト教の多くの戦闘の場となりました。

puerta de jerezグスマン・エル・ブエノの守り

最も有名なエピソードは、カスティージャ王国のサンチョ 4 世時代の1291年から1292年 (グスマンの像は城の入り口に設置されている) にアブ・ヤアクーブ・ユースフ1世を殺した時のものです。

1294年に「グスマン・ エル ・ ブエノ」として知られる、アロンソ・ペレス・デ・グスマンによって守られた後もムーア人は、何度も取り戻そうとしますが全て失敗します。グスマンの像はタリファのアラメダ通りに設置されています。

タリファの海岸は、カディス県の他の海岸同様に中世に海賊に対しての防衛システムを実装した数多くの監視塔が建設されました。毎日騎馬兵がカディス県の西端から東端まで、ウエルバからジブラルタルまでの間を警護しました。これらの監視塔は独立戦争後に放棄されました。

TorreGuadalmedina-JAP
TorreLaPena-JAP
Camarinal-JAP
GuzmanElBueno-JAP
CastilloGuzmanes-JAP
PuertaJerez-JAP
IglesiaSanMateo-JAP
IglesiaSantaMaria-JAP
TemploSantiago-JAP

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